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自分のこと、人間のこと、人生のこと。ときどき立ち止まっては書き込んでいきます。
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できないことはそっとしておく
ばりばりと仕事をこなせない。
人並みの速さで動けない。
決めた通りに進められない。
思うように手が動かない。
やらなきゃと思えば思うほどできない。

上の特徴を読んでどう思われるでしょうか。
のろま? マイペース? 使えない?
もしくは、自分に当てはまってギクッとしたとか。

いろいろあるかと思いますが、これを見て「いいね!」とポジティブに思う人はなかなかいないのではないでしょうか。

***

「できない」にはネガティブな評価がつきものです。
社会全体にそのような価値観が蔓延っているように思います。
できる人は高く評価され、できない人は低く評価される。
できないままではいけない。できるようにならなければならない。
もっともっとできるようになって、成長して、周りとの競争に打ち勝って、より高いところを目指して…。
そんな、盲目的というか、画一的というか、で結局なんなの?というような謎の上昇志向。
学校でも会社でも家庭でも世間でも、あらゆる場が当たり前のようにこの価値観に基づいて構築されているように思います。

かくいう私でさえ、最初に書いたような特徴は致命的であり、努力や工夫をして克服すべきものと思っていました。
むしろ「できるできないじゃないんだよ、やれよ」ぐらいに思っていました。
(ちなみに上に挙げた特徴はすべて私自身のことです)

ところがこれがいつまで経ってもできない。
どんなに工夫しても努力しても、叱咤しようが時間をかけようが何をしようが、とにかくできない。
これほどやってもできないなんて、自分はどれだけだめなのかと、思い悩んだところでやっぱりできない。

苦しみ抜いた挙げ句、考え方が変わりました。

もう、できないことはそっとしておこうと。

***

というのも、できないできないと言って苦しんでいるのは自分ばかりで、周りの人たちはそんなこと全然気にしてないし、むしろこんな自分のことを評価してくれているな、と気付いたのです。
共感こそすれ、「だめだこいつ」と責めたり低く評価するような人は、そういえば一人もいないなと。
むしろ、できないところとは全然別の部分で高く評価してくれていたりするよなと。

それに、たとえできないことを悪く評価されたところで、どう頑張ってもできないんだからもう仕方ないじゃないかと。
できないことは諦めてそっとしておいて、この日この時、できることをできるようにやるしかないじゃないかと。
そんな風に思うようになりました。

***

たとえば、これは個人的な実際の話ですが、一週間前に着手しているべきとあるタスクが未だにできていません。
以前なら「まずい、遅れてる…やらなきゃ、やらなきゃ…」と自分を責める(割に結局できない)ところですが、今は「あ~、できてないな。まあいつかやるでしょ」ぐらいに捉えています。
そんな悠長な!とか、いつかやろうは馬鹿野郎だ!とか、批判される方もいるかもしれませんが、本当に切羽詰まったらどうせやるし、調子のいいときになんか知らんけど気付いたらできてた、というようなことも起こります。
ちょっとこの記事ともリンクしてきましたね。
がんばれないときは黙って待つ

***

できないことをできるようにしようという、いわば「完璧な自分」「理想の自分」になろうとするがんばりは、一見美徳のように見えるけれど、実は不健康で非生産的な行動なのかもしれません。
そんな風にならなければいけないという謎の上昇志向は、存外、悪しき執着なのかもしれません。
「完璧な自分」「理想の自分」にならなくとも、生きていくのに何も問題ないし、そのまんまの状態で、他のできる部分がきちんと評価されているんだから。

苦手なことは苦手なまま、下手なりにやっていればOK。
その時々で、できることをできるようにやっていればOK。

「理想的な何者かになれ!」と四方八方から迫られるような、何かと窮屈なこの世の中、それぐらいおおらかな気構えで生きてもいいんじゃないかな、と思う今日この頃です。
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裏磐梯温泉旅行~五色沼散策~
友人と裏磐梯に一泊二日で旅行に行ってきました。
五色沼散策の様子を写真多めでお届け。

まずは夕暮れどきの五色沼から。





景色を鮮やかに染め上げる紅葉と



黄金色に輝くススキの波。





散策路は意外と険しいので紐靴をおすすめします。





この丸いのなんだろう?





異国を思わせる山の色。



この日の戦利品。

続けて翌朝、夜明けの五色沼。





モノクロの世界に



まばゆい朝日が差し込みます。







息を吹き返したかのように色づいていく世界。







朝露がきらきら。





長ーい影で友人と記念撮影。





人の営みの一切に無関心なまま、厳然と生き、色づき、巡る自然。
冷たいような、温かいような、そんな突き放した様子に、心の枷を取り払われたような気がしました。
生き方を変えてみた話
職業訓練に通い始めて一ヶ月。
一度立ち止まった人生が再びぐっと動き出すのを感じました。
ここらで、思ったことをまたいろいろと書き残しておこうと思います。

今回の話は「私が会社を辞めた理由」の続きに当たります。
未読でご興味おありの方は併せてどうぞ。

「私が会社を辞めた理由」では、退職の根本的な原因が「自分を偽ることに限界を感じたから」だということを書いてから「じゃあ今後はどのように生きていくのか?」という問いで終わりました。
今日はその答えからいきたいと思います。

結論から言うと「素直に真っ直ぐ生きる」ことにしました。
今も絶賛実践中です。


思っていることとやっていることがちぐはぐ、というのは、多くの方が経験あるんじゃないでしょうか。
今ではそれをしないように心がけています。

初対面同士の自己紹介で趣味について話すとき、本音を隠して当たり障りのないことを言わない。
「アニメ・マンガ好きです。絵描きます。ファンタジー好きです」と正直に言ってしまう。

会社が嫌で嫌でたまらないとき「でも、みんなやってるし」「でも、よその方が酷いだろう」「でも、お金が心配だ」「でも、今辞めたら…」と、本心から目を逸らさない。
シンプルに、このままでいいのか、よくないのか。後者なら迷わず行動する。

具体的にはそんなようなことです。

いろいろ都合はある。ときには勇気もいる。やむを得ないケースだってある。
でも、決して本心をないがしろにしない。
常により生きやすい方向、より自分のパフォーマンスが高くなる方向へ歩くようにしています。

身も蓋もない言い方をすれば、吹っ切れたのかもしれません。
大学時代から散々鬱屈して、摩擦を感じて、いつまでもいつまでも苦しくて、擦り切れ疲れ果てた末に、なんかもういいや、と。
だってどんなに頑張ってもちっとも楽にならないんだから。それじゃやる意味がない。
くしゃくしゃに丸めてぽーいっと投げ捨てたような感覚でした。

***

そんなこんなで「素直に真っ直ぐ生きる」ようにしてみたら、良いことがたくさんありました。

まず、重圧から解放されました。
将来への不安、自信のなさ、諸々の悩み、そういうのは相変わらずあります。
でも心にのしかかっていた重しは完全に取り払われます。
気持ちや思考が前向きになるのはもちろん、物理的なところで言うと、歩くときの姿勢が良くなりました。
近所を歩いていたとき「道ってこんなにカラフルで賑やかだったかなぁ。…あれ? もしかして今までずっと足下のアスファルトばっかり見てた…?」と、見える風景が変わったことに気づいたときは驚きました。

それから、人間関係が変わりました。
自分をオープンに見せた上で好意的に接してくれる人とは、安心して付き合うことができます。
嫌な人とは無理して良好な関係を築こうとしないため、ストレスが軽減されます。
とりあえずとか、仕方なくとか、そういう人間関係が今はもうほとんどないんじゃないかと思います。
あと、これは意外な効果だったのですが、人付き合いのスタンスが明確になると、むやみに人に期待をしなくなります。
「この人なら何々してくれるはず」のような勝手な気持ちってあまり良いものではないので、今後もその辺は意識していきたいです。

更に、人のせいにすることがなくなりました。
キーワードは「納得」。
自分の本心をもとに物事を選び取るので、結果の良し悪しにかかわらず納得するようになります。
あのときこうするべきだったと後悔することもないし(これは自分はもともとあまりありませんでしたが)、何より、世の中のせいだとか、環境のせいだとか、そういうことを言わなくなりました。
たとえ原因が他人にある場合でも、それを責めたり愚痴ったりするばかりでは不毛なので、「だったら自分はこれからどうしようか?」と考えるようになります。

上に書いたことは、あくまで「こういう心境の変化があった」というもので、素直に真っ直ぐ生きればあなたも今すぐ完璧超人ポジティブ人間!というわけではもちろんありません。
自分もそんな出来た人間とはほど遠いです。(言うまでもありませんが)
ただ、これらの変化は間違いなく良い変化だったと自信を持って言えるので、こうして書き残しておきました。

もうまもなく八月も終わり。
来月もまた一歩一歩踏みしめて進んでいこうと思います。
ニートな三ヶ月間を振り返る
今日で七月も終わり。
無職になってから三ヶ月が経ちました。

その間何をしていたかというと、働く気などまるでなく、思いきり羽を伸ばしてくたびれた心身を休めていました。
自分の立場が世に言うニートだったんだと気づいたのはついさっきのこと(!)。
この記事は、そんなニートの私がどんな風に最初の三ヶ月間を過ごしたのか、備忘録として書き連ねていくものです。

なお、4月以前の略史は「このブログについて」、会社を辞めるに至った経緯は「私が会社を辞めた理由」をご覧ください。

***

▼5月

晴れて会社を退職し自由の身に。
園児→生徒→学生→会社員と穴を開けずに人生を歩んできた自分が、遂に肩書きを一切持たない無職に!
見えないベルトコンベアからようやく降りられたという感覚で、心の底からほっとしました。

ところが退職後の手続き、転居後の手続き、引っ越しと、なんだかんだ忙しく過ごしていました。
それでも時間は俄然自由がきくようになったので、プレッシャーとか急き立てられるような感覚はありませんでした。

17~18日はデザフェスに出展。
この準備のため、一週間前くらいから実家に帰っていました。
生活必需品から少しずつ自力で運び込むという引っ越しの仕方をしていて、新居の方の作業環境がまるで整っていなかったので。
久しぶりに創作活動に打ち込み、当日まで怒濤の勢いで駆け抜けました。
詳しい様子は別ブログ『cielo』「デザインフェスタvol.39出展レポート」をご覧ください。

これが終わったらいよいよゆっくり無職を満喫だ~と思っていたのですが、やっぱり何かと用事をこなす日々。
ハローワークに行ったり、部屋作りをしたり、買い物をしたり、手続き系の残りをこなしたり。
会社員だった頃よりのんびりなのは確かですが、やることはいくらでもあるぞーという状態でした。

前職で体調を崩した影響で、無理が効かず、疲れやすく、ひどくゆっくりとしか動けない体になっていました。
タスクは山積み、時間はたっぷりある、それなのに頑張れない自分に落ち込むことも多々…。
無職って何となく「気楽」「空白」みたいなイメージがあったのですが、実際になってみると全然そんなことありませんでした。

***

▼6月

ルピシア グラン・マルシェ、ekot企画、湯河原温泉旅行、親戚での女子会など、いろんなイベントごとに参加しました。
ルピシア グラン・マルシェのレポートはこちら
湯河原温泉旅行についてはこちら

あとは職業訓練の見学会と申し込み、こちらもやっていました。
職業訓練についての記事はこちら

それ以外の日はずっと部屋作りとか買い物とか引っ越しとか。
疲れたら休んで、動けそうだったら作業して、の繰り返しでした。
今日まで基本的にはだいたいこんな感じで過ごしてました。

で、この辺から自分の今後の生き方について、ちょっとずつ考え事をするようになりました。
会社員時代からの悶々鬱々と考え込む癖はまだ引き摺っているものの、少しずつ、きちんと前を向いて考えるようになってきました。



↑例えばこんな感じですね。
今は相変わらず思うように体も動かないし、まだまだ休まないといけない状態だけれど、その時期が終わったらどうしようか?と。
何せ日本社会の見えないベルトコンベアから降りた身。
周りと一緒に行動していればどうにかなる時代は終わったのです。
明日からの三ヶ月でこの辺のことについてどういう展開があるのか、期待と不安と半々ですが、楽しみです。

あと些細なことですが、6月下旬は見知らぬ人のピンポンやGの出現に怯えながら過ごしていました…。
ひとつずつ乗り越えてたくましくなっていくまなかでありました。

***

▼7月

引き続き部屋作り。
大事な商売道具となるデスクとチェアを求めて三千里していました。
おそらく、というか間違いなく一日の大半をそこで過ごすことになるため、テキトーに済ますわけには断じていかず、全力で探し回りました。
数え切れないほどの空振りに凹みながらも、探して、探して、探して…。
一ヶ月粘りに粘った結果、ようやく納得のいく品を購入することができました!
到着はまだだいぶ先になるのでどきどきです。
最後まで無事に運びますように。

疲れやうつに負けてへたってしまったときは、こっそり実家に帰りました。
お世話になるばかりではいけないと思い、お風呂場をせっせと掃除したりしていました。
(ぴっかぴかになったよ!笑)

あとは映画を観に行ったり、買い物したり、いつも通り家で過ごしたり…。
服とか石鹸とか、おしゃれな感じの買い物をするようになってきましたね。
気持ちの余裕が少しずつ現れてきたような。

あっそうそう、中旬ぐらいに職業訓練の選考の合格通知が来て、向こう三ヶ月の見通しが立ちました。
心の余裕はそのせいもあるかもしれません。

***

大体こんな感じかな?
書いてたら日付更新して八月になってしまいました。
今日から新しいステップに進むことになるんですね。楽しみ。

それではおやすみなさい!
皆さまよい夢を。
『思い出のマーニー』感想
ジブリ最新作『思い出のマーニー』を観てきました。

監督は『借りぐらしのアリエッティ』の米林さん。
アリエッティがとても気に入っていたので、今回も期待して観ました。
結果はというと…その期待を遙かに上回る素晴らしい作品でした。

まず目を奪われるのは絵の美しさ。
ここはさすが安心安定のジブリといったところで、もちろん予想の範囲内です。
それなのに見入る。泣きそうになるくらいぐっとくる。
音楽の使い方と演出の上手さも相まって、タイトルが出てくるまでにもうじわっときてしまいました。
全体を通してアリエッティ同様、寧ろそれ以上に丁寧なつくりです。

序盤で杏奈に感情移入する人は多いのではないでしょうか。
年頃の女の子の有り様が非常にリアルに描かれています。
かくいう私も(もう年頃ではありませんが)心の底から共感してしまいました。
あとものすごくどうでもいい話ですが、彼女のビジュアルが個人的に大変好みできゅんきゅんしました。
この年齢でこうなら、数年後にはどれほど格好良く美しい女性になっていることか…!

声優陣も素晴らしかったです。
杏奈の生き生きとした演技も好きでしたし、地味に大岩さんちの旦那さんの声が自然すぎてびっくりしました。
実際にいそうというか、町中で聞こえてきそうというか。あれはすごいです。

あとは主題歌。こちらも素敵でした。
アリエッティのときもセシル・コルベルの奏でる主題歌に惚れ惚れしましたが、米林監督は音楽のセンスが大変に良いですね。
これを聴いて嫌な気持ちになる人はいないだろうな、という、優しく美しい曲でした。

人物や物語について深く語るとネタバレ不可避になってしまうので控えますが、一点だけ。
巷で百合だ百合だと騒がれているようですので、その辺の見解をば。

私もマーニーが登場して以降、例に漏れず、百合だ…!と思いました。
ヒロインは二人とも女の子。
手を取ったり、抱きしめ合ったり、嫉妬したり、守ってあげたり、好きだと言ったり。
恋愛かどうかはさておき、少なくとも普通の友情の範囲には収まらなさそうです。
なので、観る人がこれを同性愛として見ても何ら間違いないと思います。

私の記憶が合っていれば、これまでのジブリには同性愛的な描写は皆無だったかと思います。
なのでとても衝撃的で、新鮮で、同時にじんわり嬉しくなりました。
生々しい話や現実的なあれこれについては話題が逸れてしまうので今は置いておくとして、私個人としては、同性同士の愛は尊いと思っています。
異性愛や家族愛とまったく等しく。
それをこうしてメジャーな場で堂々と描いてもらえたのが、とても嬉しかったです。

ところが!
お話が進んでいき、終盤ですべての謎が解けると、これらの見え方がひっくり返ります。

あの入江で、わたしはあなたを待っている。
永久にーー。
あなたのことが大すき。

上記のキャッチコピーごと、見事なまでにひっくり返ります。
なので、二人のことを百合だと言ってもいいし、百合じゃないと言ってもその通りなんですよね。
この辺の描き方が本当に秀逸で、深みがあって素晴らしいです。
こればかりは最大級のネタバレなので語れません。
未見の方はぜひ映画をご覧になってみてください。

何分の作品だったのか、とても長く濃密に感じました。
上映中、何度もぽろぽろと涙がこぼれました。
見終わって席を立つ頃には、胸の中がすっかりデトックスされていました。
公開中にもう一度観たいと思った映画は、もしかしたらこれが初めてかもしれません。

重ね重ね、素晴らしい作品でした。
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プロフィール
HN:
まなか
自己紹介:
創作や紅茶が趣味の元プログラマー。
新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞め、次のステップに向けて充電中。
マイペースに生きています。
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