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自分のこと、人間のこと、人生のこと。ときどき立ち止まっては書き込んでいきます。
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職業訓練に行くことになりました
突然ですが、職業訓練の選考に合格しました。
8月から一時、学生に戻ります。

***

ご存じない方のために簡単にご説明すると、職業訓練というのは国が実施している就職支援制度です。
希望する職種のスキルを、専用の訓練校や民間の学校機関で学ぶことができます。
短期で専門学校に行くようなイメージでしょうか。
職業訓練を受けたい|厚生労働省

受講料はなんと無料
中には長期で有料の訓練もあるようですが、私が今回受けるコースは無料です。
しかも雇用保険とは別に受講手当がもらえたり、交通費が全額支給されたりと、ちょっとびっくりな手厚いサポート。
唯一テキスト代は自己負担ですが、そんなの全然いいよ! 払うよ!
社会人になってから何かを学ぶのってものすごくお金がかかるので、こういう機会は本当にありがたいです。

雇用保険を受給している人は主に公共職業訓練を、受給していない人は主に求職者支援訓練を受講することができます。
ハローワークで聞いてみたところ、受給者でも求職者支援訓練を受けることは可能らしいです。
なんでもそちらの方が内容が本格的で、就職に結びつきやすいんだとか。
「公共職業訓練」と「求職者支援訓練」の違いとは? - Yahoo!知恵袋

上記二つほど参考リンクを貼りましたが、制度がいろいろと複雑だったり、ネットに出ていない情報もたくさんあったりするので、詳しく知りたい方はハローワークに行ってみてください。

***

というわけで、このまま特に問題がなければ8月から訓練スタートです。
コースはWeb制作。
コーディングやプログラミングはもうある程度できるのですが、デザインや画像作成などビジュアル面の業務経験がほとんどないため、その辺を習得したいと思って選びました。
訓練内容がとても充実しているようで、全力で吸収してやろうと意気込んでいます。

以上、近況報告でした。
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『アナと雪の女王』感想
アナ雪、遅ればせながら観てきました。
備忘用に感想を書いておきたいと思います。

ご興味ある方は続きからどうぞ。
ネタバレ含みます。
(20140723追記)
読み返してみたらネタバレでも何でもなかったので折りたたみを解除しました。

***

この映画を観た感想を一言で言うなら、綺麗!
ポイントは三つ。
映像、センス、音楽です。

まずは映像。
主題歌のPV?でチラ見したときから綺麗だなぁ~と思っていましたが、その期待を裏切らない素晴らしいグラフィックでした。
特にエルサの魔法が溜息もの。
優美な曲線を描くものや、繊細な雪の結晶などはもちろん、敵意剥き出しの攻撃魔法すらも美しい。
私にとってこの映画の一番の魅力はここでした。
筆舌に尽くしがたい綺麗さなので、ぜひ本編を観てみてください。

次にセンス。
キャラクターの衣装とか、エンドクレジットの演出とか、ワンポイントのエンブレムとか。
こういった部分の美的センスが、今まで観たディズニー映画で一番洗練されていました。
アナとエルサのドレス、すごく良いですね。大好きです。
エルサがマントを脱ぎ捨てるとき「わー脱がないで-!」と心の中で叫んでしまう程度に大好きです。
エンドクレジット、繊細かつ美麗な演出に見とれましたが、Franc●rancが頭に浮かんだのは私だけではないと信じてる…。笑

最後に音楽。
冒頭の合唱と主題歌(おなじみのレリゴーことLet It Go)が特に印象的でした。
初っ端にあんな上質な合唱を持ってくるのはずるい!
コーラス好きの自分としてはたまらない演出でした。
Let It Goは評判通りの良曲。力強く美しく、耳に残りますね。
これもやはり垢抜けたおしゃれさがありました。

というわけで、私のアナ雪に対する感想はただただ「綺麗」の一言に尽きます。
それ以外の要素はかなりあっさり受け取りました。
シナリオはとてもさっぱりしているし、共感するとか感動するということも特にありませんでした。

ちょっと横道に逸れますが、世間でやたらと主題歌「Let It Go」がもてはやされているのに少し首を傾げてしまう自分。
確かにキャッチーで印象的だけど、実際私も好きだけど、これ、ものすごく寂しい歌じゃないかと。
日本語訳の「少しも寒くないわ」が余計そう思わせるのかとも思いましたが(この訳ちょっと語弊がありますよね)やっぱり映画の文脈で考えてみても、明るくて前向きな歌とは思えず。
表面的にはそう見えるけど、結果的には氷の城で一人きり、より孤独になってしまった。
刹那的なんですよね。
「もう自由よ!ヒャッハー!」と自分の中にあるものを思いっきり爆発させて、でもその後は…。
それでもエルサにとっては大事な一歩だった、と考えれば、少しは前向きに捉えられるのかな。

ほかにも細々といろんな感想がありますが、ひとまずここまで。
とにかくひたすら綺麗さに目を見張る映画でした。
無気力でつらいときは散歩を
やらなければいけないことがたくさんあるのに、何も手につかない。
一日中家に引きこもってめいっぱい休んでも、だるくて元気が出ない。
寝るのも、食べるのも、ネットするのも、ゲームするのもしんどい。

そんな状態に陥ってしまったら、散歩に行くと良いです。

どこそこに行って何を買うとか、用事を済ませるとか、そういうのは一切なし。
なるべくどうでもいい、漠然としたことを目的にして歩きます。

行き先はなるべく近所。
気合いを入れなくてもふらっと行って帰れる範囲で歩きます。

どうでもいいお出かけなので、身なりもゆるい感じで。
支度も荷物も最低限にしておきます。

騙されたと思って、ちょっと行ってみてください。
家に帰る頃には、よどんでいた体内が驚くほどすっきりします。

***

今朝、まさに自分がそんな状態でした。

昨日はずっと家でだらだら過ごしていたので、疲れは取れているはず。
それなのに全然元気じゃないし、頭も体も動きが鈍い。
休みが足りないのかな?と思って横になってみましたが、ちっとも楽になれませんでした。

まずい、このままだと本当に動けなくなってしまうかも…と危機感を覚え、どうにかしようと考えました。

溜まっているタスクをがつがつこなす?
そのためのエネルギーが湧いてきません。

好きな街に繰り出して買い物?
やっぱりこれもちょっと気合いを入れないとできません。

趣味のお茶でも淹れてみる?
好きなことのはずなのにそれすら億劫です。

何も考えずに自堕落に過ごす?
これでは逆に悪化してしまいそうです。

そこで思いついたのが散歩でした。
やるべきことができないから、それから逃げる。
家で休んでいるのもつらいから、それから逃げる。
ささやかな現実逃避です。

というわけで、申し訳程度のメイクをして、しとしとと雨の降る中、傘と財布だけ持って家を出ました。
行き先は近くの線路の向こう側。
そういえばあの辺は歩いたことないなと思って、そこをうろついてみることにしました。

RPGのダンジョンマップみたいに、自分の中の地図を広げるような感覚で、30分ほどてくてくと歩き回ってみました。
特に面白いものがあるわけでもなく、見るべきものがあるわけでもなく、何を考えるわけでもない。
無為だけど無意味ではないという、不思議な心地よさがありました。

途中でお昼を食べて、帰り道。
住宅街の中をうろうろしながら、見覚えのある川を辿って、知っている路地に着いたときには思わず「おお~」と声が出てしまいました。
ここに繋がってるのか!という、まさにRPGのダンジョンで味わうあの感動です。笑

自宅の玄関をくぐり、気がつくと体内の毒が嘘のように消えていました。

そうして鼻歌まじりに淹れたお茶を飲みながら、この記事を書いています。
今後また同じような状態に陥ってしまったときのために、ここに書きとめておきました。
自分用メモではありますが(というかこのブログ自体がそんな感じですが)、同じような思いをしている方のお役に立てたなら幸いです。
湯河原温泉旅行


湯河原に一泊二日で旅行に行ってきました。
温泉にとっぷり浸かって、だらしなくごろごろ、気ままにうろうろ、美味しい食事に舌鼓。
心身をすっかりリセットすることができました。



今の時期はちょうど紫陽花が見頃です。
そこかしこに惜しみなく彩りを添えてくれていて癒されました。



駅のホーム、線路の向こうにも紫陽花の群れ。

宿泊先はニューウェルシティ湯河原
広さや清潔感、音の具合など、いずれも期待を上回る良いお部屋でした。
和室でしたが有難いことに、真夜中に何か出てきそう…というような怖さはまったくなく、安心して泊まることができました。

このお宿は露天風呂が素晴らしいです。
お風呂は広々、種類もいろいろ、雰囲気もばっちり。
閑散期の平日ということもあって、贅沢にも、だだっ広い露天風呂を連れと一緒に二人占めできたこともありました。
温泉目当ての方には心からおすすめしたいお宿です。



雨の降りしきる中、お宿の周辺をてくてくと散策。
トンネルの向こうは不思議の街…



…ではなく、涼やかな音を立てて滔々と落ちる滝でした。



子どもの頃、こういう自然の風景の中に佇んで、澄んだ空気を胸一杯に吸い込みながら、あれこれ豊かに空想したのを思い出しました。
誰かが苔むした岩に物憂げに座っているとか、何かが向こうの木陰をサッと横切っていくとか。
オリジナルのキャラクターでそんな空想をすると、目の前で即興の物語が繰り広げられていってとても楽しいのです。
この日、試しにやってみたら今でも楽しめました。
まだまだこの感覚は生きているんだなと、心の中だけでそっと嬉しく思いました。



子どもの頃つながり。
コンビニに駄菓子屋さんが併設されていました。
この光景、大人になった今でもわくわくしますね!
思わず懐かしのさくらんぼ餅を購入したのでした。



湯河原は海の幸が美味です。
お土産屋さんでは干物やかまぼこなどを頻繁に見かけます。
お昼に食べたこのお蕎麦、魚の練り物と海苔がのっかっているのですが、これが美味しい!
練り物を美味しい美味しいと言って頂くのが新鮮でした。



もうひとつ外せない名物が、きび餅。
元祖きび餅のお店がこちら、小梅堂です。



お土産に買って帰り、早速頂いてみました。
甘さ控えめ。もっちりふんわり、滑らかな口当たり。
お餅は噛めば噛むほど味がします。
まったりもぐもぐしながら、素朴ならではの良さをしみじみ感じたのでした。
がんばれないときは黙って待つ
「がんばれない自分が許せない」

私が、多分高校生ぐらいから長いこと嵌っていた、思考の悪い癖です。
いまだに抜け出しきっていない部分もありますが、最近少しずつ距離を置いて俯瞰できるようになってきたので、今日はこれについて書きたいと思います。

***

やることがたくさんあるのになかなか進まない。
ちっともがんばれない。
あれこれ工夫してみるけど、心と体が動かない。
寝たり、食べたり、ぼーっとしたり、ゲームしたり…。
気づいたら時間だけが過ぎている。

病気ではなく普通の状態で、何となくそんな感じ。
何年も何年も。

イベントごとがあると楽しい。
授業や仕事はちゃんとやる。
しかし、どうにも常に「がんばれないだめな感じ」が大気と同じように上から全身を押さえつけている。

うん、まあ、日常生活に支障はないけど。
別に問題はないけど。
でも、なんだかずっと重いような…。

そんな漠然とした感覚、皆さんも経験ないでしょうか。
そういうときはよく「がんばれない」などのワードで検索してぼんやり眺めていましたが、そうすると自分と同じような人がたくさん出てきました。
なので比較的多くの方が感じていることなのかなと思うのですが、いかがでしょうか。

***

「がんばれない」などのワードで検索してみると、「自分をありのまま受け入れる」とか、「必死になるようにわざと自分を追い詰める」とか、「期待値を低くする」とか、いろんなアドバイスが出てきます。
「甘えだ」とか、「いいからさっさと行動しろ」とか、体育会系のアドバイスも出てきます。
とにかく、なんだかいろいろたくさん出てきます。

そして大抵、ふむ、と思うようなアドバイスがあったとしても実行しません。
しないというか、できないというか。
おおそうかと共感して、ちょっと希望が見えた気がして、それで終わり。
当然、がんばれないだめな状態は変わりません。

そのたびに「がんばれない自分」を思い知ります。
そしてそんなだめな自分を責めたり、許せないと感じます。

① がんばれない自分をどうにかしようとする
② そのまま何もしない、あるいはできない、あるいはうまくいかない
③ がんばれないだめな自分を責める

そして①に戻る。
これをずーーーっと繰り返します。

***

ここで「②が無限ループの原因だ」と思われる方がいるかもしれません。
ちゃんと調べたことをきっちりやり通せばいいじゃないかと。
そうすれば何かしら変化が起きて、道が開けるじゃないかと。

確かにその通りです。
その通りですが、じゃあそれを実践できるかというと、できません。
なぜなら今このとき、自分は「がんばれない自分」だからです。
がんばれない自分をどうにかするために行動すること自体、がんばれない自分にはできないのです。
何とかやってみたとしてもほぼ100%うまくいきません。がんばれないだめな自分がやっているからです。
考えてみれば、当たり前です。

では何が無限ループの原因なのかというと、①です。
「がんばれない自分をどうにかしようとする」からこんな不毛なループに嵌るわけです。

するとよく聞く「自分をありのまま受け入れる」というアドバイスが正解のように思えます。
「がんばれない自分を許す」ということになります。

ところがこれも実践できません。
なぜならことの発端が「がんばれない自分が許せない」からです。
許せないものを許すことは容易ではありませんので、そのように変わるための努力や行動が必要になります。
しかしそれも、今の「がんばれない自分」にはうまくできません。
結局、先ほどと同じということになります。

なんとも厄介な現象です。

***

少し、違う視点から考えることにしてみます。

「がんばれない自分が許せない」というおおもとの気持ち。
逆に言うと、「がんばれる自分は許せる」ということになります。
どうやら根っこには「がんばれる自分」が望ましい状態である、という意識があるようです。
今の自分は望ましくない状態だから、早く望ましい状態に変わらなければ、という焦りが感じられます。

なぜ焦るのかというと、自分を許せないのはしんどいからです。
自分を責めたり、だめなやつだと思ったり、叱咤したり…そういうのが辛いからです。

「だめな自分」を他人に置き換えて想像してみるとわかりやすいです。
その人を責めて、お前はだめなやつだと言って、叱咤する。
そんなことをされる側は辛いに決まっています。

そういうしんどい状況から抜け出したくて、焦っているわけです。
そして下手にもがいた結果、かえって沈んでしまっているような状態です。

***

更に、また別の視点から考えてみます。

今は確かに「がんばれないだめな自分」だし、何年も何年もずっと感じている感覚だけれど、それって文字通り「ずっと」なのでしょうか。
何年も何年も、365日、24時間、そのまままったく変化がない…わけではなさそうです。
「お、ちょっと今日は調子がいいな」とか、「なんか今、妙に集中できるな」とか、「あ、気づいたらできてた」とか、そういうときもあります。
がんばれないとかだめだとかそんなことすらパーッと忘れて「うっひゃー楽しい超楽しい!」なんて、何かに夢中になっていることもあります。

つまり、「がんばれないだめな自分」ばかり意識しているけれど、「がんばれるしだめじゃない自分」も普通にいるようです。
そういうときはわざわざ悩まないので、意識が行きません。
意識が行かないので、褒められることもなく、当たり前のこととしてスルーされてしまいます。

事前に何かしたからそういう状態になれた、というものでもありません。
なぜか、いつの間にか、自然とそういう状態になっているのです。
余計に意識できません。

***

上記を踏まえて、最終的に私が落ち着いた解決方法は「黙って待つ」ことでした。
これは私自身が見つけた方法ではなく、お世話になっている精神科の先生が仰っていたことです。
まったくその通りだったのでこの方法に落ち着いた、という形です。

調子が悪い、動けない、がんばれない…。
そんなときは、動かない。
焦って行動したくなるけれど、ぐっと我慢。
黙って時が過ぎるのを待つ。
ぼーっとしてもいいし、だらだらネットしてもいいし、寝ちゃうのもいい。

無理に許そうとしたり、肯定しようと思ったりする必要はありません。
「あ、今だめだ、動くのやめよう」
これだけ。

「がんばれないだめな自分」の時期を黙ってやり過ごして「がんばれるしだめじゃない自分」の時期が来るのを待つわけです。
そうしてふと「あ、今ちょっといい感じ」と気づいたら、ためらわずに波に乗る。
前の時期にエネルギーを温存しておいた分、サクサク動くことができていい感じです。

心身の調子の自然な波に、素直に合わせる。
最終的に行き着いたのは、そんなシンプルなところでした。

***

この結論に納得がいかない人がいるかもしれません。
もちろんそういうこともあるだろうと思います。
これは私が、何年も何年もぼんやり悩んで、ぼんやり苦しんで、ぼんやり試行錯誤した末に落ち着いた、私のための結論なので、別の人となれば事情も違ってくるでしょう。

また、もしかしたらある程度時間をかけないと落ち着かないものなのかもしれない、とも思っています。
読んでハイ納得!解決!という単純な話でないことは、不毛ループのくだりでご説明した通りです。
いつかはわからないけど、いつか納得できる。多分。
そんな話なのかもしれません。(焦るのも無理ないですね…)

それでももしこの記事が、誰かにとって問題解決の一助になれたなら、とても嬉しく思います。
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プロフィール
HN:
まなか
自己紹介:
創作や紅茶が趣味の元プログラマー。
新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞め、次のステップに向けて充電中。
マイペースに生きています。
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BACKGROUND / tudu*uzu
TEMPLATE / Lenny
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