忍者ブログ
自分のこと、人間のこと、人生のこと。ときどき立ち止まっては書き込んでいきます。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

宗教について何年も悩んできたことを思いきって書いてみる
宗教。
この言葉に、私はアレルギーを持っていたような気がします。
おそらく今もなお、その偏見は残留しているのだろうと思います。

私は宗教について非常に深く悩んでいます。
普段は滅多に口にしませんが、心の底では常に、文字通り常に、考え続けています。

ずっと停滞したまま一人で抱え込むにはこの問題は深刻すぎると、かねてから思い続けていました。
あまりにも辛いときは少しだけ、話せそうな人に話したりもしました。
そんな中途半端な姿勢のまま、なかなか積極的に踏み出す気になれなかったのは、人に話すことに対する恐れ、自分自身がこの問題に向き合うことへの恐れ、その両方があったからです。

しかし、このままだと本当にまったく考えが進まない。
それはつまり、この苦痛をこれから先もずっと抱え続けるということ。
そして未解決のまま人生が終わるという、取り返しのつかない事態に辿り着くということ。
これ以上の恐怖があろうかと思い直し、長年胸の中で温め続けていたこの話題を、遂に書き始めることにしました。
もしご興味ありましたら、これから先どうぞよろしくお願いいたします。

***

当面は、私は宗教の何をそんなに悩んでいるんだろうか、ということについて書いていきたいと思います。
既にこの時点で自分としてはもう霧を掴むような心地なのですが…ひとまずできる範囲でやってみようかと。

今回はまず、これまでの人生における宗教観の経緯をさらっておきたいと思います。


▼ 0~18歳


無宗教。科学主義者。


お墓やお盆などは一応曹洞宗の形を取っていましたが、完全に形骸化したもので、そこに信仰はありませんでした。
お盆には亡くなった親族の霊をお迎えする、神社では二礼二拍手一礼で神様にお祈りするなど、風習として知っているしやっているものの、本当に霊が来ている、本当に神様がいるなどとは思っていませんでした。
「へえ、まあ、やるんですね、はい(信じてもいないのに変なの)」と、ただ何となく付き合っている感覚でした。

年頃になると、アンチ宗教とも言える態度を取るようになりました。
幽霊とか、神様の創造とか、天国と地獄とか、輪廻転生とか、そんな非科学的な話をよくもまあ本気にするなと。
ファンタジーのネタとしては面白いけど、本気にして現実の人生を預けちゃうとか信じられない。
そんな人が世界に何億人もいて、寧ろそっちの方がメジャーだとかほんとあり得ない。
そんな風に思っていました。

この科学主義は父の受け売りです。
人生観は人の数だけあると認める寛容さを持ちながら、父自身は徹頭徹尾科学主義者で、子どもに対する教育も自然とそれに基づいたものになりました。
これには母を始め、他の家族も同意していました(と言いますか、もともとそんなに深く考えている様子はありませんでした)。

「人は死んだらどうなるの?」
父の答えは「わからない」だったと記憶しています。
人生一度きり、死んだら終わり、という人生観も教わったように思います。


▼ 19歳


無宗教。イスラームに出会う。


大学では学問的興味が定まらず、手当たり次第に語学をかじっていました。
そのうちのひとつがアラビヤ語、その繋がりで触れたのがイスラームでした。
講義を受講したきっかけは、アラビヤ語の勉強に役立つかも、世界観が広がるかも、ついでにゼミにも繋がるかも、ぐらいのシンプルな気持ちでした。

まず、教授が実際にイスラーム教徒だと知ってびっくり。
しかも、キャンパス内に他にも数名イスラーム教徒がいるとのこと。
あれほど蔑んでいた宗教というものが実はこんなに身近だったのだと、目の覚めるような思いでした。
イスラームを信じているというその人たちは、とても非科学的で考えなしの人間には見えないし、寧ろ聡明で、女性がヴェールを被っていること以外、他と何ら変わりないごく普通の日本人でした。

更に驚いたのが、神の存在、神が一であること、現世と来世、天国と地獄、そういった世界観は、個々の人が信じる信じないにかかわらず真実であるということ。
たとえ私が否定しても神はいるし、来世もあるし、死後にすべての人間は天国と地獄に振り分けられるのだということ。

非科学的なのに真実だと断言できるって、一体どういうこと…?
それがつまり信仰なのかな?
要は究極の思い込みですよね?
科学で論破できちゃうわけですよね?
でもこの人も大学教授なわけで、そんな荒唐無稽な思い込みで学問のプロを務められるわけないよなぁ…。
聴きながら、一人静かに混乱していました。

ある日、それに答えるかのように講義で言われたのが「宗教と科学は対立しないし矛盾もしない」という言葉。
(具体的に説明するには私の頭が足りず収拾がつかなくなりそうだったので、ご興味ありましたら調べてみてください)
思えば、宗教と科学は方法や領域こそ異なるけれど、どちらも真理を求めることには変わりなく、対立どころか同じ方向を向いているんですね。

そして極めつけが「人は死んだらどうなるの?」という問いの答えでした。
科学では「わからない」。
でも宗教はこの問いにあっさり答えてみせます。
世界中すべての人は死後、最後の審判で復活し、天国か地獄に振り分けられ、永遠にそこで暮らし続ける。

明らかに領域が異なる。
人が生きていくのに科学だけでは足りない。

それまでの人生観を粉々に砕かれたのでした。


▼ 20~21歳


一応、無宗教。イスラームがかなり気にかかる。


語学とともにイスラームの勉強を続けました。
研修でシリアやレバノンを訪れたりしました。
クルアーンを原文で読んだりもしました。
気になることを教授に片っ端から質問したりもしました。
学問としてというより、自分の人生に向き合っているような心持ちでした。

粉砕された従来の人生観と、何もかもが新しいイスラームの世界観と、両者がせめぎ合い押しつぶされるような心地でした。
覆されたとはいえ、それまでの人生で培ってきた価値観をばっさり切り捨てることもできないし、新しい道が拓けたからといって過去を全否定するのは間違っているとも思いました。
しかし、イスラームは信じようが信じまいが揺るぎなく真実であり、神は今この瞬間も私を見ていて、このままでは間違いなく死後地獄に送られる…。
半信半疑、信じるべきらしいけれど信じきれない、宙ぶらりんの状態になりました。

そんな中、気付いたら豚肉を食べることに抵抗を感じている自分がいました。
(ちなみにお酒はもともと嫌いで、今も昔も飲みません)

ある冬の日、大学の食堂でお昼のメニューを選んでいたときのことを、今も印象深く覚えています。
「豚肉…食べないでみようかな。禁止されているとわかっていながらわざわざ食べるのもどうかと思うし…入信してないんだから無意味だと思うけど…」
そう思い、一度は目に留まったスンドゥブを避けました。
それ以来、ずっと豚肉を食べない生活を続けています。
(余談ですが、豚肉を食べられないことに対する苦痛は意外にもまったくありません。ただ、外食などでときどき困ったりします)


▼ 22歳


一応、無宗教。停滞の始まり。


大学卒業後も、イスラームの教義は変わりなく私の心に残っていました。
宙ぶらりんの状態もまったくそのまま。
考えても考えても、事態が一向に進みません。

ある秋の日、急に危機感と不安感が爆発し、衝動的に代々木のモスク・東京ジャーミィを訪れました。
ヴェールを被ってモスクの端っこに座り込み、時間も忘れてぼーっと考え込んでいると、スタッフの人が観光客にあれこれ説明をしていました。
説明が終わった後、思いきって声をかけ、代表の方も含めてお話をさせていただきました。
疑問に思っていた様々なことを質問しまくり、代表の方にもスタッフさんにも、真剣に聞いていただき、答えていただきました。

しかし、それでももやもやは晴れず。
もうこれは思いきって一歩踏み出さないとだめなところまで来ているのかなと、持ち帰ったパンフレットを自室で眺めていたところ、母が入ってきました。
どうしたのと聞かれ、隠さずそのまま答えると…空気が一瞬にして凍りました。

「娘が宗教に入ろうとしている」。
確かに字面だけ見るとすごく危ない香りがします。
宗教を遠ざけてきた私の家族であれば、偏見も強く尚更そう感じるでしょう。
別に怪しいカルトに惹かれてるとかじゃないんだけど…と思ったのですが、母の不安はとどまるところを知りませんでした。

父はこの件について冷静でした。
しかし、相談した席で告げられた一言が今も忘れられません。

「宗教も思想も自由だけど、今はお願いだからちょっと待って。母の精神衛生に悪いから」

宗教が自分一人の問題ではないこと。
宗教を自分事として考えることが、周囲の人にも影響を及ぼすということ。
宗教を口にすることが、良くない波風を立てるということ…。
入る前からこれなら、一歩踏み出したら一体どんなことになってしまうのか想像もつかない。

…私は、自分の人生観に決着をつけたいだけなのに。

ただでさえ何も信じきれず宙ぶらりんなところに、周囲を巻き込むという足枷がついて、完全に動けなくなりました。


▼ 23歳~現在


一応、無宗教。イスラームはもちろん、他の宗教も眺めつつ宙ぶらりん。


宗教を学んで以来、身の回りの人たちの宗教や人生観にも自然と触れるようになりました。
宗教関連の言説があると、いつも興味深く拝見しています。

数ある宗教はどれも自らを真実だと言う。
それっておかしい。結局どれが世界の真実なの?
どれが従うに足る教えなの?

しかもイスラームを知ってしまった今、別の宗教に進んだとして、それって死後地獄送り確定じゃないか。
そう考える辺り、私は既にイスラームを信じているのか?
でも相変わらず納得いかない部分はあるし。
一方で、仏教の世界観を知るたびになるほどと思っている自分もいるし…。

とかなんとかもう非常にごちゃごちゃとした考えのまま、今に至ります。

***

なんでこんなに人生観ひとつで悩みまくっているのかと、徒労だと思われる方もいるかもしれません。
でも私はもう、この問題に決着をつけるまで、安心して生きることも死ぬこともできません。
このまま人生が終わってしまったらと思うと恐ろしくなります。
死そのものより、宗教がはっきりしないまま死にたくないと思っています。

というわけで、支離滅裂ながら今回はここまで。
また後日、気が向いた頃に続きを書こうと思います。
長文にお付き合いくださりありがとうございます。
PR
comments**
yourname ()
title ()
website ()
message

pass ()
- 17 - 16 - 15 - 14 - 13 - 12 - 11 - 10 - 9
prev  top next
プロフィール
HN:
まなか
自己紹介:
創作や紅茶が趣味の元プログラマー。
新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞め、次のステップに向けて充電中。
マイペースに生きています。
リンク
BACKGROUND / tudu*uzu
TEMPLATE / Lenny
忍者ブログ [PR]