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自分のこと、人間のこと、人生のこと。ときどき立ち止まっては書き込んでいきます。
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私が会社を辞めた理由
私は新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞めました。
先日、友人にその理由を訊かれたのですが、どうにも上手く答えることができなかったので、今回はそれについて書いてみたいと思います。

結論から言うと、
  • ● 直接的な理由: ストレスで体調を崩したから
  • ● 根本的な理由: 自分を偽ることに限界を感じたから
になります。

「このブログについて」にもある通り、実際に辞めるきっかけとなったのは、仕事のストレスからくる体調不良でした。
その辺の経緯は別ブログにて詳しく綴ってあります。
多忙な毎日の中で、会社員という働き方に疑問を持ち、強い違和感を抱えたまま働き続けた結果、抑うつ状態に陥りました。
早めに手を打ったかいあって、幸い病気にまでは至りませんでしたが、原因が会社勤めである以上、このまま続けることはもちろん、一旦休職してまた復帰するという選択肢もありませんでした。

というわけで、直接的には「ストレスで体調を崩したから会社を辞めた」となるのですが、これで片付けてしまうと良くないですね。
「なぜそこまでストレスがかかってしまったのか」をはっきりさせておかないと、この先もまた同じことを繰り返してしまうかもしれません。
私が上手く答えられなかったのもこの部分なんだと思います。

ひとまず、ストレスになっていたことを具体的に挙げてみると…
  • ● 通勤(殺人的混雑、往復4時間、みんな目が死んでる)
  • ● 業務内容(興味が持てない、必要性が感じられない、やりたくない)
  • ● 社内体制(無駄が多い、理不尽が多い、思うように仕事ができない)
  • ● 雰囲気(挨拶が返ってこない、笑顔も会話も表面的、本音が言えない)
  • ● 人間関係(苦手な人と毎日会う、同類がいない、居心地が悪い)
  • ● 心労(気を遣う、休むこと・定時で帰ることに罪悪感を感じる)
  • ● 労働時間(週五日定時でも長い、残業が苦痛、もっと休みたい)
などなど、口を開けば仕事の愚痴というくらい、不健康極まりない状態でした。

上記の内容を見て「社会人なら当たり前だ」「そのくらい我慢して当然だ」「甘えだ」「贅沢だ」と思われる方も多いでしょう。
自分でも、何度も何度もそんなようなことを思いました。
一番自分のことを責めていたのは、他でもない、自分自身だったと思います。

ですが、この際、いくら非難されようと構いません。
現にこうして追い詰められて退職することになったのですから、それがすべてです。
人に、そして自分に何と言われようと、それほど切実だったということです。

では、なぜ普通なら「まあ仕方ないか」と割り切れるところを、自分はそうできなかったのか。
それは「自分を偽ることに限界を感じたから」であり、これこそが会社を辞めた根本的な理由だと考えています。

ことの発端は大学入学にまで遡ります。
それまでは小学校、中学校、高校と、自分の本性をさらけ出して生きてきました。
アニメ・マンガが好き、絵を描くのが好き、創作が好き、空想が好き、ファンタジーが好き。
オリジナルのキャラクターや物語を持っていて、それらを表現したくてうずうずしている。
絵も、音楽も、自然も、とにかく綺麗なものが大好き。
そういう本音を周囲の人に堂々と見せて、周りの同志とも楽しく盛り上がって、ときに一緒に切磋琢磨して、のびのびと過ごしていました。

ところが、大学という環境に入った途端、強烈な違和感に襲われました。
キャンパス内に、絵がない。
アニメ・マンガがない。
ファンタジーがない。
自分の大好きな成分が、圧倒的に足りない。

周りの学生たちも同様でした。
友達とか、遊びとか、恋愛とか、サークルとか、何だかみんなわいわいやっているけれど、全然興味が持てない。
気の合う人がいない。
語れる人がいない。
自分の対極にあるような、交われない人ばかりだと感じました。

その後かろうじて語学に接点を見出し、それに縋って過ごすうちにまた新たな展開があったのですが、今回はそこは割愛します。
重要なのは、この時点から「本性を隠し、見せられる部分だけで生きる」スタイルになってしまったことです。
普段は無難に過ごして、プライベートで思いきり自分を表現しよう…創作活動をする人やオタク趣味の人には、このようなスタンスの人は多いのではないでしょうか。
自分の場合、転じて「社会とはそういうものだ」と思い込んでしまいました。
社会では本性をさらせない。我慢して合わせないと生きられない。
オンの自分とオフの自分という、分裂した二つの自分をそれぞれ生きていくことになりました。

そのスタンスのまま大学を卒業し、会社員となりました。
新米のうちはただ一生懸命頑張るのみということもあり、特に疑問を感じることなく過ごしていましたが、しばらくして「どうも仕事のウェートが大きすぎるな」と思い始めました。
私にとって仕事とはオンの自分、つまり、本性を偽って仕方なくやっている自分でした。
このオンの自分が、体力的にも時間的にも、本性たるオフの自分を、許容できる範囲を超えて圧迫していることに気がついたのです。

そこから先は疑問と苦痛の日々でした。
そんな中、あるときストレスフルなプロジェクトに放り込まれ、嫌だ嫌だと思いながらも頑張っているうちに、メーターが一気に振り切れてしまった。
…これが、ストレスによる体調不良の背景だったのではと考えています。

つまり、オンの自分とオフの自分という生き方そのものが、もう限界のようなのです。
自分にとって会社を辞めたことは、単に仕事を変える、働き方を変えるという以上に、生き方を問い直すために必要だったのだと思います。

では、今後はどのように生きていくのか。
上で書いてきた流れでいくと、ほぼ結論は見えているようなものですが、これについてはまた機会を改めて綴りたいと思います。

(20140901追記)
続き、書きました。こちらからどうぞ。
「生き方を変えてみた話」
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このブログについて
※この記事の内容は、ブログの実態に合わせて都度修正します。

はじめまして。
筆者のまなかです。

『まなかのノートとセーブの羽根ペン』は、私が日々生きていく中で思ったこと、悩んだこと、考えたことを、好き勝手に綴っていく徒然ブログです。
ほとんど自分用の備忘録ですが、もしどこかの誰かが同じようなことを思ったり、悩んだり、考えたりしていたときに、ほんのちょっとだけでもお役に立てればと思っています。



▼ まなかについて

創作や紅茶が趣味の元プログラマー。
新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞め、次のステップに向けて充電中。
マイペースに生きています。

***

▽ 幼少期
物心ついた頃から絵を描くのが好きでした。
小学校四年生くらいにはオリジナルのキャラクターがいて、彼らのイラストやマンガを盛んに描いていました。

▽ 中学
ネオピコという画材を手にして、本格的にイラスト制作を開始。
Webサイトを立ち上げて作品を公開し始めました。
名前もURLも当時とは変わっているものの、十数年経った今でも続いています。
【Tian】 http://manakayue.web.fc2.com/

その傍ら勉強を頑張り、見事第一志望の高校に進学。
といっても受かったのはペーパーではなく、面接や自己PRでの試験でした。
受験の辛酸をそれほど味わうことなく一抜けする形になりました。

▽ 高校
勉強も絵も自分より遙かにできる人が身の回りにごろごろいて、だったら自分は何なんだと悩み苦しんだり、たくさんの壁にぶち当たったものの、高校自体が大好きだったこともあり、毎日生き生きと謳歌していました。
(若気の至りで恥ずかしいことも山ほどやらかしたので、眩しい一方、ほろ苦くもある思い出です)

高校が楽しすぎて大学に期待が持てず、進路が決まらないまま受験期に突入。
予備校も受験勉強もひたすら苦痛で、成績は落ちていくばかり。
そんな中、卒業制作のFlashアニメーション作品がとある大学主催のコンテストでグランプリを受賞し、AO入試を特別枠で受けられることに。
だめもとでやってみたところ、またしても面接と自己PRのみで合格。
完全にたなぼたでした。

▽ 大学
特に志望していた訳ではない大学に入ってしまったことで、初日から強烈な違和感に襲われる羽目に。
大学と自分との接点をかろうじて語学に見つけ、手当たり次第に受講しました。
英語、中国語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ウイグル語…。

そんな中、アラビヤ語に出会いました。
今まで模様にしか見えなかったものが文字として読める、書ける、音もわかる、そのことに純粋な感動を覚えました。
その繋がりでアラブ・イスラーム圏研究室に入り、語学研修でシリア、レバノンを訪れ、イスラームという宗教を学ぶようになり…まったく想像もしていなかったところに居場所を見つけたのでした。
特に、このとき学んだイスラームの教えはインパクト大で、自分のそれまでの人生観を見事にひっくり返されました。
これについては未だに多くのことを悩み考えていて、追々、このブログでも触れていくことになると思います。

就活の時期になると、またしても自分の進みたい道がわからず、受ける会社受ける会社、ぼろぼろと落ちていきました。
そのうち周りはほとんど内定を決め、季節は春から夏、そして秋へ。
一度とある会社に内定をもらったものの、両親に全力で引き留められて辞退することに。
迷走しすぎて冷静さを失い、怪しい会社を受けてしまっていたのでした。
今思い返しても恐ろしい思い出です。

▽ 社会人
最終的に、ソフトウェア開発の会社にプログラマーとして入社することになりました。
福利厚生も法令遵守も行き届いた環境で、安心して一生懸命業務に励むことができました。
ブラックと名高い業界でこのような良心的な条件で働けたことは、本当に幸運でした。

ところが、二年目の終わり頃、状況が一変。
炎上プロジェクトに放り込まれ、プレッシャーを全身に感じながら遅くまで残業する日々が続き、次第に会社員として働くことに違和感を覚え始めました。
「やりたくもないことでこんなに朝から晩まで神経すり減らして、私は何をやってるんだろう」
「本当にこんなに身を削ってやらなければならない仕事なんだろうか」
「どうして周りの人はこの状況を当たり前のように受け止めて、黙々と仕事をしているんだろうか」
「本当にこんなしんどい思いをしなければ、人間、生きられないんだろうか」
「そんなはずはない。どうしても納得できない。辞めたい。つらい…」

ストレスが積もり積もって、体調を崩しました。
病気になってしまう前にと、精神科でカウンセリングを受け、上司に相談し、退職を決めました。
もともと定年までここで働き続けようとは思っていませんでしたが、この早さで辞めることになるとは、自分でも想定外でした。

***

そして今に至ります。
一応、今後のビジョンはあるにはあるのですが、上手くいく見込みはまったくありません。
でも、やってみようと思います。
このブログにはその痕跡を残していければと思っています。

以上、長々とあらましを読んでいただき、どうもありがとうございました。
ご興味ありましたら、ぜひこれからの記事にもお付き合いください。
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プロフィール
HN:
まなか
自己紹介:
創作や紅茶が趣味の元プログラマー。
新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞め、次のステップに向けて充電中。
マイペースに生きています。
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TEMPLATE / Lenny
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