自分のこと、人間のこと、人生のこと。ときどき立ち止まっては書き込んでいきます。
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2024/11/21/Thursday
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このブログについて
2014/04/24/Thursday
※この記事の内容は、ブログの実態に合わせて都度修正します。
はじめまして。
筆者のまなかです。
『まなかのノートとセーブの羽根ペン』は、私が日々生きていく中で思ったこと、悩んだこと、考えたことを、好き勝手に綴っていく徒然ブログです。
ほとんど自分用の備忘録ですが、もしどこかの誰かが同じようなことを思ったり、悩んだり、考えたりしていたときに、ほんのちょっとだけでもお役に立てればと思っています。
▼ まなかについて
創作や紅茶が趣味の元プログラマー。
新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞め、次のステップに向けて充電中。
マイペースに生きています。
***
▽ 幼少期
物心ついた頃から絵を描くのが好きでした。
小学校四年生くらいにはオリジナルのキャラクターがいて、彼らのイラストやマンガを盛んに描いていました。
▽ 中学
ネオピコという画材を手にして、本格的にイラスト制作を開始。
Webサイトを立ち上げて作品を公開し始めました。
名前もURLも当時とは変わっているものの、十数年経った今でも続いています。
【Tian】 http://manakayue.web.fc2.com/
その傍ら勉強を頑張り、見事第一志望の高校に進学。
といっても受かったのはペーパーではなく、面接や自己PRでの試験でした。
受験の辛酸をそれほど味わうことなく一抜けする形になりました。
▽ 高校
勉強も絵も自分より遙かにできる人が身の回りにごろごろいて、だったら自分は何なんだと悩み苦しんだり、たくさんの壁にぶち当たったものの、高校自体が大好きだったこともあり、毎日生き生きと謳歌していました。
(若気の至りで恥ずかしいことも山ほどやらかしたので、眩しい一方、ほろ苦くもある思い出です)
高校が楽しすぎて大学に期待が持てず、進路が決まらないまま受験期に突入。
予備校も受験勉強もひたすら苦痛で、成績は落ちていくばかり。
そんな中、卒業制作のFlashアニメーション作品がとある大学主催のコンテストでグランプリを受賞し、AO入試を特別枠で受けられることに。
だめもとでやってみたところ、またしても面接と自己PRのみで合格。
完全にたなぼたでした。
▽ 大学
特に志望していた訳ではない大学に入ってしまったことで、初日から強烈な違和感に襲われる羽目に。
大学と自分との接点をかろうじて語学に見つけ、手当たり次第に受講しました。
英語、中国語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ウイグル語…。
そんな中、アラビヤ語に出会いました。
今まで模様にしか見えなかったものが文字として読める、書ける、音もわかる、そのことに純粋な感動を覚えました。
その繋がりでアラブ・イスラーム圏研究室に入り、語学研修でシリア、レバノンを訪れ、イスラームという宗教を学ぶようになり…まったく想像もしていなかったところに居場所を見つけたのでした。
特に、このとき学んだイスラームの教えはインパクト大で、自分のそれまでの人生観を見事にひっくり返されました。
これについては未だに多くのことを悩み考えていて、追々、このブログでも触れていくことになると思います。
就活の時期になると、またしても自分の進みたい道がわからず、受ける会社受ける会社、ぼろぼろと落ちていきました。
そのうち周りはほとんど内定を決め、季節は春から夏、そして秋へ。
一度とある会社に内定をもらったものの、両親に全力で引き留められて辞退することに。
迷走しすぎて冷静さを失い、怪しい会社を受けてしまっていたのでした。
今思い返しても恐ろしい思い出です。
▽ 社会人
最終的に、ソフトウェア開発の会社にプログラマーとして入社することになりました。
福利厚生も法令遵守も行き届いた環境で、安心して一生懸命業務に励むことができました。
ブラックと名高い業界でこのような良心的な条件で働けたことは、本当に幸運でした。
ところが、二年目の終わり頃、状況が一変。
炎上プロジェクトに放り込まれ、プレッシャーを全身に感じながら遅くまで残業する日々が続き、次第に会社員として働くことに違和感を覚え始めました。
「やりたくもないことでこんなに朝から晩まで神経すり減らして、私は何をやってるんだろう」
「本当にこんなに身を削ってやらなければならない仕事なんだろうか」
「どうして周りの人はこの状況を当たり前のように受け止めて、黙々と仕事をしているんだろうか」
「本当にこんなしんどい思いをしなければ、人間、生きられないんだろうか」
「そんなはずはない。どうしても納得できない。辞めたい。つらい…」
ストレスが積もり積もって、体調を崩しました。
病気になってしまう前にと、精神科でカウンセリングを受け、上司に相談し、退職を決めました。
もともと定年までここで働き続けようとは思っていませんでしたが、この早さで辞めることになるとは、自分でも想定外でした。
***
そして今に至ります。
一応、今後のビジョンはあるにはあるのですが、上手くいく見込みはまったくありません。
でも、やってみようと思います。
このブログにはその痕跡を残していければと思っています。
以上、長々とあらましを読んでいただき、どうもありがとうございました。
ご興味ありましたら、ぜひこれからの記事にもお付き合いください。
はじめまして。
筆者のまなかです。
『まなかのノートとセーブの羽根ペン』は、私が日々生きていく中で思ったこと、悩んだこと、考えたことを、好き勝手に綴っていく徒然ブログです。
ほとんど自分用の備忘録ですが、もしどこかの誰かが同じようなことを思ったり、悩んだり、考えたりしていたときに、ほんのちょっとだけでもお役に立てればと思っています。
▼ まなかについて
創作や紅茶が趣味の元プログラマー。
新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞め、次のステップに向けて充電中。
マイペースに生きています。
***
▽ 幼少期
物心ついた頃から絵を描くのが好きでした。
小学校四年生くらいにはオリジナルのキャラクターがいて、彼らのイラストやマンガを盛んに描いていました。
▽ 中学
ネオピコという画材を手にして、本格的にイラスト制作を開始。
Webサイトを立ち上げて作品を公開し始めました。
名前もURLも当時とは変わっているものの、十数年経った今でも続いています。
【Tian】 http://manakayue.web.fc2.com/
その傍ら勉強を頑張り、見事第一志望の高校に進学。
といっても受かったのはペーパーではなく、面接や自己PRでの試験でした。
受験の辛酸をそれほど味わうことなく一抜けする形になりました。
▽ 高校
勉強も絵も自分より遙かにできる人が身の回りにごろごろいて、だったら自分は何なんだと悩み苦しんだり、たくさんの壁にぶち当たったものの、高校自体が大好きだったこともあり、毎日生き生きと謳歌していました。
(若気の至りで恥ずかしいことも山ほどやらかしたので、眩しい一方、ほろ苦くもある思い出です)
高校が楽しすぎて大学に期待が持てず、進路が決まらないまま受験期に突入。
予備校も受験勉強もひたすら苦痛で、成績は落ちていくばかり。
そんな中、卒業制作のFlashアニメーション作品がとある大学主催のコンテストでグランプリを受賞し、AO入試を特別枠で受けられることに。
だめもとでやってみたところ、またしても面接と自己PRのみで合格。
完全にたなぼたでした。
▽ 大学
特に志望していた訳ではない大学に入ってしまったことで、初日から強烈な違和感に襲われる羽目に。
大学と自分との接点をかろうじて語学に見つけ、手当たり次第に受講しました。
英語、中国語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ウイグル語…。
そんな中、アラビヤ語に出会いました。
今まで模様にしか見えなかったものが文字として読める、書ける、音もわかる、そのことに純粋な感動を覚えました。
その繋がりでアラブ・イスラーム圏研究室に入り、語学研修でシリア、レバノンを訪れ、イスラームという宗教を学ぶようになり…まったく想像もしていなかったところに居場所を見つけたのでした。
特に、このとき学んだイスラームの教えはインパクト大で、自分のそれまでの人生観を見事にひっくり返されました。
これについては未だに多くのことを悩み考えていて、追々、このブログでも触れていくことになると思います。
就活の時期になると、またしても自分の進みたい道がわからず、受ける会社受ける会社、ぼろぼろと落ちていきました。
そのうち周りはほとんど内定を決め、季節は春から夏、そして秋へ。
一度とある会社に内定をもらったものの、両親に全力で引き留められて辞退することに。
迷走しすぎて冷静さを失い、怪しい会社を受けてしまっていたのでした。
今思い返しても恐ろしい思い出です。
▽ 社会人
最終的に、ソフトウェア開発の会社にプログラマーとして入社することになりました。
福利厚生も法令遵守も行き届いた環境で、安心して一生懸命業務に励むことができました。
ブラックと名高い業界でこのような良心的な条件で働けたことは、本当に幸運でした。
ところが、二年目の終わり頃、状況が一変。
炎上プロジェクトに放り込まれ、プレッシャーを全身に感じながら遅くまで残業する日々が続き、次第に会社員として働くことに違和感を覚え始めました。
「やりたくもないことでこんなに朝から晩まで神経すり減らして、私は何をやってるんだろう」
「本当にこんなに身を削ってやらなければならない仕事なんだろうか」
「どうして周りの人はこの状況を当たり前のように受け止めて、黙々と仕事をしているんだろうか」
「本当にこんなしんどい思いをしなければ、人間、生きられないんだろうか」
「そんなはずはない。どうしても納得できない。辞めたい。つらい…」
ストレスが積もり積もって、体調を崩しました。
病気になってしまう前にと、精神科でカウンセリングを受け、上司に相談し、退職を決めました。
もともと定年までここで働き続けようとは思っていませんでしたが、この早さで辞めることになるとは、自分でも想定外でした。
***
そして今に至ります。
一応、今後のビジョンはあるにはあるのですが、上手くいく見込みはまったくありません。
でも、やってみようと思います。
このブログにはその痕跡を残していければと思っています。
以上、長々とあらましを読んでいただき、どうもありがとうございました。
ご興味ありましたら、ぜひこれからの記事にもお付き合いください。
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まなか
自己紹介:
創作や紅茶が趣味の元プログラマー。
新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞め、次のステップに向けて充電中。
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新卒入社した会社を2年と1ヶ月で辞め、次のステップに向けて充電中。
マイペースに生きています。
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